たいへき 第10話 0種 来るもの拒まず去るもの追わず〜おおらかでこだわりがない

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第10話 0種 <どれも響かないタイプ>

〜軸と軸の区別〜

ちま「0種性は難しい。他の軸がひびかない〜と言われてもピンとこないや」

主人「まあ、そうかもな。言葉ではわかっても、臨場感を感じにくいと思う。

逆に、0種の人には、他の種のこだわりポイント。すなわち、善悪、好き嫌い、損得、勝ち負け、執着、こういった概念に対して、君が0種の説明で感じたような臨場感のなさを持っているんだ。

だから、他のたいへき種別の枠組み理解という外堀を埋めることで、全体構造としての把握を助け促すのが、0種の人に役立つと思う。説明を最後に回したのも、そういう意図がある。

わかりやすくするために、改めて軸の話をまとめよう」

ちま「おねがいします」

主人「9、0種は今まで説明した4軸がどれも響かないタイプだ。軸とは『どの価値観を主軸に置くか』というものだったね。ちなみに今まで出てきた4軸をまとめるとこんな感じ。

<軸とたいへき>
1、2種 ルール重視タイプ(善か悪か)動くか留まるか
3、4種 情動ベースタイプ(好き嫌い)敵か味方か
5、6種 コスパ重視タイプ(合理的) ストックかフローか
7、8種 ねじれタイプ(勝ち負け)  勝ち上がりか生き残りか

この4軸は生物としての根源的欲求だ。人間の社会形成以前からある生物的なレベル。生命進化という変化対応の循環に現れているという考え方だ。順序はあるけど、序列はない。曜日のように。この概念は覚えておいてくれ」

ちま「ぐるぐるめぐるのね。
『順序はあるけど、序列はない』と。φ(・・メモメモ」

主人「まず、1、2種の『善か悪か』は、生き伸びられるかどうかの最も基本的なカギといえる。動いた方が良いのか? 動かない方がいいのか? という二択になる。原始時代などは農耕もまだなかっただろうから、食糧を求めて今の拠点から動くかどうかの判断を迫られることがあっただろう」

ちま「どちらも必ず正解とはいきそうにないね。総合的な判断が大切、というわけか」

主人「そうだね。動くにもとどまるにも、その判断には理論と経験と勘が絡み合うし、蒙昧や迷信といった不整合な判断もあり得る。自然環境には判断力を超越した理不尽だって当然にあるね」

ちま「まったく。世の中甘くないよね」

主人「次に、3、4種は『好きか嫌いか』だが、元になるのは『敵か味方か』の判断だ。自分を支えてくれたり守ったりしてくれる人か? そうでないか? というものだね。言葉だけでなく、態度や雰囲気、見た目だけでなく発する音やにおいでも判断していたと思われる」

ちま「今でも『生理的に無理』なんて表現されるよね。3種性が女性的と言われるゆえんの一つかも」

主人「そして、5、6種はコスパを重視するタイプだが、どちらもコスパの考え方が真逆だったね。5種は量的な富。成果物。わかりやすいね。現代社会の基盤である経済のコンセプトに合致している」

ちま「これはわかりやすいところだね」

主人「一方の6種は時間とか素材の状態を大切にする感じ。成果物になる前の状態のリソースだ。たとえば以前、タピオカが流行っていたけど、それに乗ろうと、時間もたんぼも全てタピオカに全振りしたとする。そしてすぐ流行が去ったとすると、しなきゃよかった〜orzとなる。6種の考え方はこんな感じ」

ちま「そういわれると実にわかりやすいw」

主人「じゃあ『なぜ祭りなどの非日常でハジけるか?』というと、昔のあまり豊かじゃなかった時代でも祭りは行われていたわけだ。これはつまり社会を形成する上で不可欠だったことを意味していて、多少の延期や中止もあったのだろうが、連綿と続けられてきたと考えられるんだ。そして祭りには、酒盛りがあって、踊りがある、など必要なものが確実にわかっていた。なにしろ礼祭であり、精霊や神との交信だからね。6種性優位の人は準備が無駄にならないことを知っているからフローであるところの手間や材料を惜しみなく祭りに注ぎ込むし、祭りは生活サイクルの一環であって、終わりというわけではないことも承知しているから、祭りという節目のときを心から楽しむんだ。

もちろん、祭りのなかには断絶したものもあったとは思うけど、祭りという枠組みそのものが完全消滅するなんてことは現代でさえ考えられない。形を変えて存在していくんだ。つまり人間存在と共同体にとって必要な機能なんだよ」

ちま「あー、そういうことだったんだ。6種性が深い洞察に思えてくるね」

主人「4軸目の7、8種はねじれタイプだ。7種は勝ち上がりを、そして8種は生き残りを志向する。7種の勝ち上がりも生き残りには有利と思うかもしれないが、実はそれは少し違う。

勝ち上がると富や名声がどうしても目立つので、それを他者に狙われることになる。君臨すればそれだけ狙われ易くなるんだ。すると他者と比較して力があっても、長生きできるとは限らなくなるわけだ」

ちま「なるほど。諸行無常というやつね」

主人「最後に5軸目の9、0種だが、それが『どれも響かないタイプ』である『愛憎の軸』だ。繰り返しになるけれど、これは他のたいへき論にはない、俺なりの独自解釈なんだ。つまり……
正しいから…
好きだから… 
得だから…
勝てるから…
それを選ぶ、というわけではない。
そして、『なんでそれを選んだの?』と聞くと『ひとことじゃいい表せない』となる。

俺はそうした根源的欲求の軸を、9種性:個体への執着(偏愛)、0種性:種の保存(博愛)と呼んでいる。すでに9、0種は上記の4軸を超越しているわけだが、9種性である『個体への執着』すらも取っ払うと全体性、いわば種の保存的な要素が残る。これが0種性というわけだ。

0種あるあるの『後先考えずに野良猫を拾ってきてしまう』なんてのも全体性への愛着から出てきた判断だろうね。そんなの家族の方が大事だったらできないだろう? これはもう『種の保存』を越えた博愛精神といえるね」

0種

ちま「それはそうだ。博愛はいいけどハタ迷惑すぎるよ」

主人「9種性の偏愛は個体レベルの保存、0種性の博愛が現象としての種のレベルの保存、そしてさらなる全体性につながっていると俺は考えてる。

なお、他のたいへき論だと10種と呼ばれているけど、俺は0種としているんだ。俺の解釈からすると、10種というよりは0種のイメージだからね」

ちま「ABO型のO型みたいなものかあ」

主人「そうだね、O型も『反応がない(=0)』からつけられた名前だったね。

0種性の性質を簡単にまとめると、『来るもの拒まず去るもの追わず』というもの。きわめて執着心が薄く、むしろ『執着がない』とすらいえる。0種はネジが壊れたくらいおおらかな人なんだ。壊れたってよりは、もともとないイメージ」

ちま「ネジないのかw」

主人「あるべき感受性の焦点がなくて、そこへの感度が異様に低いととらえてくれ。結果、本音がおおらかになる。好き嫌い、良い悪い、損得、勝ち負けの観点からじゃなく、本音でおおらかなんだ。おおらかに見られた方が得だろうとか、おおらかだと思われたいとかとは明らかに一線を画す存在だ」

ちま「うわー。ネジないなあw」

主人「逆に9種はこだわりの人だったね。感受性が他の種より異様に高かったりする。軸のピークが不定なだけで、他の種と共鳴できる可能性を秘めている。これは複雑になるので、上級編だな」

ちま「あ、じゃあ、0種の人はバイキングだとどうなるの? みんなの分まで持ってきそうw」

主人「うーん。バイキングだったら、適当に持ってきてもらって文句を言わず食べる感じかな?」

ちま「あ、そうなんだ。なんとなく、白飯を人数分持ってきて配っちゃってヒンシュク買いそうだなって思ったんだけど」

主人「それもあるかもしれないね。まわりが見えてない上で押しつける結果になることはあるかも。みんなどんどん食えー、って」

ちま「そうなんだw」

主人「0種は器がでかい。自覚がなくても他の種の人からはそう見える。自分のたいへき種にこだわりの強い人にとってはとくにね。だから実に個性的な面々が集まりやすいんだ。これで個としての実力や統率力までも備えていれば、いわゆる大親分肌という評価になる。他の種優位の人から見ると『なんでそんなに受け入れられるの!?』と不思議に見えるわけだ。

だってこだわりがないんだから。善悪も好き嫌いも損得も勝ち負けもどうでもいい。それが他の種の人には、まさに『器がでかく』映るってわけ」

ちま「そうか、どうでもいいのか・・・
じゃあ、もしかして・・・
『負けてもいいじゃん、間違っててもいいじゃん、損でもいいじゃん』ってこと!?
好き嫌いは・・・嫌われてもいい・・・?嫌いでもいい・・・?」

主人「どちらもだね。おそらく本音は『嫌いでもいいじゃん、嫌われてもいいじゃん』だろうね」

ちま「すごいよねー。博愛って。それが『来るもの拒まず去るもの追わず』の境地なんだ」

主人「そうだね。本当にすごいと俺も思う。何しろメーターがぶっ壊れているので、いろんな種の人が協力して神輿(象徴)にしやすい。
まわりにどんな思惑の人が集まっても、屈託なく心からの笑顔で『みんな〜今日は来てくれてありがと〜』といつでも屈託なくいえるのは0種だけだと思う。
ただ0種が権力を持つ場合、権力には指向性が必要だから、9種性優位のリーダー自身は象徴的な権威として振る舞い、実権はうまく仲介して他の人に持たせるのがいいと思うけどね。その辺は組織論に関わる込み入った話になるから、別に回そう。

ちま「他に特色は?」

主人「8種は8種を見ても自分と同じタイプだとは思わない。って話があったよね。8種性の発火を見て『あ、8種がいる。素直な俺はねじれてないわけだから8種じゃないよ』ってな具合で。
反面、9種性優位の人は9種性の発火を見たときに『あ、同類だ』って思う感じだ。価値観の中身が異なっていても、それはわかる可能性が高い。
そして0種も0種がわかる。『同類だな』ってね。

0種性優位の人がトップでうまくいっている団体だと、後継者を選ぶときに同じように0種を選ぶことは考えられる。他の候補者にくらべ多少格が落ちても、パッとしなくても。その真意、親分の心意気をどのように継承するかで、その組織の行く末が決まると考えたなら、妥当な判断だろう。

他のたいへきと同じく、同じ0種性優位でも個性は出る。その上、0種性は価値観の一貫性としてはわかりにくい部類だ。とくに未熟だったり露出が少ないうちはね。だから0種性のリーダー継承は、分裂して血を見ることが少なくないと思われる。そこを伝統や戒律というシステムで補うのが、いわゆる老舗の叡智だったりする。

これはデリケートな話なので別にまとめるけど、要は0種はそうした叡智の核心を必要とするタイプともいえるだろうね。安定した地盤を安定して受け継がせるには、余計な改善は有害になり得る。リーダー交代は植物の植え替えのようなもので、変化は根が張って馴染んでからゆっくりとやるのが良い。だから0種性優位のリーダーの求心力で成り立っていた組織は当面0種性が必要、といった感じだね。いくらシステムで補ったところで、実験を握るリーダーが7種性優位や3種性優位なら、一定数のついていけない人が出てくるだろうからね」

ちま「そうなのか。さもありなんな感じだね」

主人「あと特性としては、おおらかなので忘れっぽく見えたりしやすい。でも忘れっぽいというよりは単純にこだわりがないんだけどね。約束を守ることへのこだわりがあるわけでもない。変更や反故のハードルは割と低いかな。逆に条件変更を申し出ても、結構検討はしてもらえる感じだ。

そして世話すべき対象を外に求める。このとき身内の迷惑は意識されない傾向がある。
さらに自分が苦しい時ほど、面倒を見る対象を求める面もあるね。共依存的になりやすいともいえる。消耗するわけじゃなく、むしろそれで元気になることが多いようだけどね」

ちま「0種性の弱点的な要素はなんだろう?」

主人「そうだね。利用されやすいというところかね。なにしろ本人の『すべてを受け入れたい』という欲求と噛み合ってしまうから、際限なくツケ回しを押しつけられかねない。本人はもちろん、周囲が甚大な被害に長期間晒されることになる可能性があるんだ」

ちま「それはひどい。対処はどうすればいいの?」

主人「受け入れを否定するとストレスになるから、なるべくバランスよく受け入れることだね。そして受け入れが一方的負担にならない、ビジネスの形式をとるのも悪くない。

でもまあ総じて、0種性優位のリーダーが率いるビジネスって、好景気に成長期を迎える中でさまざま引き受けて急拡大という成功パターンが多い気がする。リストラとか選択と集中とかの局面はストレスだろうね。実務のリーダーでなく、オーナーの立場ならそうでもないんだろうけどね。

つまり、働き盛りに引き受けられる限り頑張って、早めに資産家なりオーナーなりに移行するというのが0種性優位の王道なのかな。あるいは、優秀なブレーンやアシスタントを伴った生涯現役とかかな。なんにせよ、他者との交流を断てる性質ではないから、引きこもりや隠居はおススメできない。まあ、隠居したところで地域社会やらで重宝されるんだろうけどね」

ちま「まあ、生活に余力があればそういうのもいいんだろうけれど、ツケ回しされるだけじゃ本人はともかく、周囲はキツいよね」

主人「まったくその通りだよな」

…これで、5軸10方向の『たいへき』について、一応ひととおり説明したことになる。

ちま「おつかれさまでした。みなさんもたいへきを活用してみてください。

たいへきの具体的な活用方法や注意事項、各種タイプ論の便利な使い方、受ける際の注意事項をまとめる予定です。

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