たいへき 第5話 5種 資本主義で成功しやすいコスパ重視 

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第5話 5種 <コスパ重視外向きタイプ>
〜体癖によって『何を得と感じるか?』が違う〜

ちま「自分の子どものたいへきはわかった。
大人にも一人一人にたいへきがあることがわかった。
じゃあ、私のたいへきは何?」

主人「君は第2話(7種)のこの部分で自白しているよ。
気付いていた?」

ちま「本当にね。正々堂々の勝負で負けたら、いさぎよく負けを認めてほしいものだよ
まわりにとっては、時間と労力の無駄だよ

主人「わかった?」

ちま「『時間と労力の無駄』・・・ですか?」

主人「そのとおり!
君は5種コスパ重視タイプだね。
得したい。それも最大効率、累積効果の最大化までを直観的に意識するという強みがある。

子どもたちにも『時間がもったいない』とか『ついでにこれくらい一緒にやっときなさい』とか、本音ベースで言っていないかな?」

ちま「うぐぐ」

主人「実はこの種の人は資本主義に性格があっていると言える。
現代でビジネスで成功している人は5種と7種が多いらしいし、俺もそれはもっともだと思う」

ちま「おーそうなんだ(とくいげ)」

主人「まず、利益を得ることに屈託がない。合理的だから損切りしたほうが得と思えば割り切ってそうする。
スキマ時間を使って回転を上げたり、並列処理を好んだりする。
手数で勝負、みたいなところがあるな」

ちま「わかる。
何かタイマーをかけながら、別のことをするのが好き。
講義の音声を聴きながら、動画を見て、音声を聞き逃すようなこともあるけど」

主人「5種あるあるだね。
耳だけ使っていて目が暇だともったいないと感じるのが5種っぽいな。耳だけでなく、目からも情報を入れたくなる。
それで、どちらもおろそかになってしまうのも5種あるあるだね。最大効率を目指した試行錯誤に物怖じしない強みがある。通常そこまでしようと考えないからね。
まあ、感覚器の使用なら、訓練によってインプットの経路や効率をアップできるようになるとは思うけどね。そうしたいと思えば、かなりの部分で身体は応えてくれるものさ」

ちま「そうかあ。
やっぱり5種は得したいんだね」

主人「その『得』という概念そのものの捉え方もたいへき種別によってさまざまで、齟齬を起こしやすいので注意して欲しい」

ちま「どういうこと?得したいなら5種じゃないの?」

主人「そうでもない、皆、得はしたいに決まっている。問題は『得』の意味するところ、文脈背景だな。

たとえば……
1種は『正しいのが得』ととらえる。
3種は『好きなのが得』ととらえる。
といった具合だ」

ちま「確かに……」

主人「さらに続けると……
7種は『勝ちが得』
9種は『こだわりが得』
と考えるだろう。

『言葉という形式』と『中身の意味する概念』が一致しない。これは『得』意外の尺度にもままあることで、注意が必要な点だ」

ちま「確かにどれも『得』なんだけど、内容が違うんだね」

主人「君にとって、正しさ、好き、勝ち、こだわり、とかを、純粋な『得』と思えるかい?」

ちま「それは違うでしょ。得を逃したり、損したりするよ」

主人「そう、それらはあくまでも条件つきの得なんだ。5種性でいうところの純粋な利害得失とはズレてる。5種以外の人って、そんなに『得』の概念を精密に考えることもないし、なんなら開き直る。『得なんてそんなに重視するものじゃない』なんてうそぶくんだ。主観的な重要度が低いってそういうもので、それは話や価値観が噛み合わないという感覚、ひいては現実の衝突や齟齬につながるんだ。5種的な観点で経営を進める責任者が『得』についてブレてたら運営は右往左往してしまう」

ちま「得は・・・得よね?」

主人「そう。5種は得の概念はシンプルな、得のための得、すなわち『行動そのものが得』となる。確率論的な期待値とか複利の感覚だ。
止まっているくらいなら動いたほうが得でしょうという感じ。
あと、5種は合理的なので、欲しいものが売っていたら買うんだよ。でも、欲しいものが売ってなかったら自分で作る」

ちま「わかる。なかったら作る」

主人「そう。プロトタイプを作る。
今の世の中は開発した人の利益を守るようにできているので、そうした世界のビジネスで5種の人は成功しやすいといえる。
アメリカは制度も風土も『ザ・5種』って感じだね」

ちま「ザ・5種w自由市場w」

主人「あと、5種の裏は6種だけど、6種を裏に持っている人は『損したくない』6種性ゆえに後悔するのさえもったいないと判断するので、さらに切り替えが早かったりする。
いわばサンクコスト、これまで積み上げられた投資を切り捨てることに抵抗がないんだ。建設途中のダムだって無駄と判断すれば切り捨てる。それは6種性も生来的に持っていて、その観点を踏まえているからだね。余計な逡巡、堂々巡りになりにくい」

ちま「そう言われるとすごいように思える」

主人「逆に5種をメインに持っているけど、6種を持っていない人は、得を逃したと思った時に『ここで動けば得できたのに、得できなかった!』と不満をもらしたりする。それでも回転を上げるから見た目はあまり変わらないけど、内包するメンタルがずいぶん違う。焦りと余裕では、まるで風景が違うだろうね。
ともあれ、メインのたいへきだけでなく裏のたいへきを知ることも大切であると知って欲しい」

ちま「メインだけでなく、裏も大切なんだね。3層構造なんだっけ?」

主人「そうだね。
これは俺の勝手なイメージなんだけど、
たいへき<5種−7種−8種>はIT系でスタートアップする人のイメージだ。
この場合、顕在的たいへきが5種:得したいタイプ
潜在的たいへきが7種:マウントとりたいタイプ
無意識的たいへきが8種:ねじれタイプ
という組み合わせになる。
どんなたいへきかを超簡潔に言うと、『得をしたいと、ごりごりマウントを取りに来て、しかもねじれている』という、周りの人にとったらちょっと大変な体癖。
よく言えば、『フットワークが軽く、勝ちを求め、新しい分野への進出に抵抗がない』と言える」

ちま「たいへきは悪い言い方も良い言い方もできるんだね」

主人「いわば『性格』のひな形、原型のようなものだからね。形質に良し悪しはなくて、あくまで環境との相性なんだ。
5種は行動の回転を最大効率まで上げたいタイプと把握してもらえればいいだろう」

ちま「なるほどね」

主人「5種の人は、試行錯誤、つまり企画と検証を楽しめば、少なくとも経済的な結果がついてくる可能性は十分に高い。

これは、富豪に必ずなれる、ということを意味するわけではないけど、利害得失の計算のもとに試行錯誤を最大限に回すわけだから、『詰み』にならないような制御を織り込んでるのは比較優位にある、という意味だ。

はじまりが安易な後乗りであっても、小規模企画でも、破綻を構造的に避ける強みを生得的に持つから、それを持たない競合に対して比較優位にあるってことさ」

ちま「ちまちま回転を積み上げるのが好きだよ」

主人「そもそもコモディティなら、自分でつくるより、買う、交易する方が効率的なら5種的な価値観に適う。試行錯誤が無駄打ちになるような見落としは普通に避けようとするし、結果として無駄を避けられなくとも、それを避けようとする努力とプロセスは現状の市場主義社会で相応の評価を受け、再投資で再起をはかれるチャンスが比較的に高くなるんだ」

ちま「そうなんだー」

主人「投資という行為はまさに5種的な観点を抜きには成り立たないからね。投資家個々人にたいへき的な個性のバラツキがあろうと、投資判断という要素において、5種的な観点が丸々無視されるということはないわけだ。だいたい、事業が一発で大成功するなんて、ガチの投資家は期待していない。

ただ、投資家の利害特質の観点と抽象度は、最前線とは違うというのも事実だ。目論見書上の利回りの多少の差などは、人間の目利きによって簡単に覆されるものだという現実は、生来の5種の人には、ぜひ踏まえてもらいたい。チャンスは限りないとはいえ、タイミングと生命時間は限りがあるので、最大効率のチャンスを空振りしないための『保険』として、早い段階のどこかで本気で『総合的判断力』というテーマに踏み込むことを推奨したい」

ちま「統合的判断力か、興味深い」

主人「簡単にいうと、真の目的とは何かってことだ。たとえば、医療における『真のアウトカム』と『代用アウトカム』の見極めといえるね。健康寿命が真のアウトカム、血圧や血糖の値が代用アウトカムってやつだ。血圧や血糖が下がっても、健康寿命が短くなっては意味がない。そんな事情を踏まえて真と代用という言葉が付けられるわけだ。

真のアウトカムがひとつ決められれば、話は早い。その真の目的に邁進した人生を送れば良い。でも大抵はそう簡単に割り切れない。医療における健康寿命みたいな定番の概念で、かつ誰しもの人生一般に当てはまるような指標はないからね。医療は病態との対立概念として健康を定義するけど、人生についてはそんなに簡単じゃない。個々の価値観そのものといえるから、仕方ない」

ちま「何のために生きるか。本音で自分の真のアウトカムを決めるのは難しいかも」

主人「価値観が多様化しているのと、代用アウトカムが乱立していること。そして何より日常で真のアウトカムを直視することから遠ざけられているのが大きいな。子育て、子孫繁栄が真のアウトカムになるどころか、反出生主義なんて概念まで出てきているくらいだからな」

ちま「反出生主義って?」

主人「簡単にいえば、生まれてきたことと、これから産み落とすことに否定するという考え方だ。ただ、これは自殺を推奨するものではない。基本的にはブッダの四苦、すなわち生老病死の概念だったり、負の功利主義、すなわち幸福追求よりも苦痛の最小化こそ倫理的に重要とする思想の流れで現れた主張だね」

ちま「なんか夢も希望もない考え方だね」

主人「まったくその通りだけど、矛盾がないのも確かなんだ。つまり普遍的な真のアウトカムとできるだけの人生の目的を設定できないという現実を写像していると俺は見ている。子孫繁栄だと、単なる循環、先送りに過ぎないといわれたら、反論はとても難しい。

ただ、俺個人の考えだと、そもそも人生の目的において普遍的な真のアウトカムなんか必要なくて、個々が『確からしく思える人生の目的』を設定、更新すればそれで良いと思ってる。

ポイントは、普遍性とか正しさを外に求めない。条件づけは自分で握るということに尽きる。つまり反出生主義に陥る可能性のある自分を想定した上で、それを捨てさせるような目的設定やコントロールを目指すのが現実的な対処なんだと考えるわけだ」

ちま「ふむ。『生まれてこなければよかった』という考えに打ち勝つ人生の価値という観点なわけか」

主人「そうだね。加えて、多少のエゴの実装を拡張する。つまり自分が満足するだけでは寂しいので、他者にも同様に反出生主義を棄却させることを要請する、という方針だな。つまり完全な自己完結を否定する。これは社会性動物であるヒトの性質にもマッチすると俺は考える。

回りくどい考えになるけど、『他者に迷惑をかけない』を絶対の前提にすると、反出生主義を否定することは難しい。だけど『設定した人生目的へのアプローチが満足を生み出し、それが苦痛を上回る。そうした循環を持続的に可能にする系』を目指すことで、反出生主義の発火を抑えることはできるというアイデアだ。この場合、設定する人生目的はなんでも良いが、任意かつ没頭可能なものでなくては意味がない。

結論は、没頭できる遊びを見つけて、遊び倒せ、ってことだな。そして遊びもどんどん進歩するわけだから、耽溺して脱落するのを促進するような麻薬的な遊びは遠ざけたいという条件づけも加えたい。薬とかスリル系のレジャーとかは、少なくとも残り生命時間の期待値が十分あるうちは遠ざけたいというポリシーになるね」

ちま「極端な想定から、穏当な主張だね。子どもに伝えても問題ないくらい毒がないね」

主人「まあそうでないと、持続可能とはいえないからな。いちおうその先、落とし所まで考えてある。

最終的には、避け難い死を迎えることを、いかに逃避的でなく安らかに楽しめるか。この観点が最も重要で、備えが切実に必要な要素なんだと思う。

この『避け難い死』に臨場感を伴う状況に陥った時点で、おそらく生物的な本義である種の保存、古くからある子孫繁栄という価値観が効いてくるのだろう。抽象度を上げて、共同体そのものの持続的繁栄と、それに果たす自己存在の役目役割の認識、使命を全うしたという感覚をいかに供給するかという課題に集約されると俺は思う。

とはいえ生きている以上、死の可能性は常にあるわけだから、『避け難い死の臨場感』は常に伴っていないとおかしいという話にもなる。その現実に向き合うだけの死生観や精神性を備えるのは、きわめて現実的な課題なんだ。借り物の宗教かそうでないか、自分を救える信仰なのかそうでないか、それは自分にかえってくるし、自分しかわからない。

宗教も信仰も形式的な条件づけなら大した意味を持たない。少なくとも日常生活や身体性を伴う個人人生哲学を構築し、自家薬籠中にするだけの境涯向上に資する『遊び』をかりそめの人生目的として追い求め、あくなき探究で更新し続ける生き様をつらぬくだけだ。

まあ、現状では自己調達を探究すること、相互作用し助け促す仲間や機能を拡充すること、それら関係性が適切に流動するような棲み分けを進めること、あたりの話になってくるね」

ちま「総合的判断力って、そこまで考えるものなのか…… まあ大切なことではあることはわからんでもないなあ。『得は得』か。代用アウトカムで右往左往するだけではジリ貧なのは確かだもんね」

・・・

主人「一覧表を用意したので、そちらも参考に。
深く知りたい人は『キャラクターで説明シリーズ』を参考に漫画を読んでみてもいいですよ。

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紹介された漫画本
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