第6話 6種 コスパ重視タイプ(内向き)
〜偶数たいへきは判別しにくい、人間関係でいうと、サブたいへきが一緒なら相性がいいかも(仮説)〜
ちま「前話はコスパ重視タイプ(外向き)で得したいタイプでした。
他の種でも得したいとは思うわけだけど、たいへきによってどうなると得かってのが違っておもしろかった。
その裏と言われてもピンとこないんだけど、6種ってどんなタイプ??得したくないの?」
主人「まあそんなわけないよね。
確かに、偶数たいへき(2、4、6、8、0)は奇数たいへき(1、3、5、7、9)と比べて外向きでないぶん、分かりにくいところがある」
(著者注:0種は元の体癖論で10種と呼ばれていたので、偶数たいへきに分類しています。)
ちま「そうね。わかりにくいね」
主人「どの軸(1−2種、3−4種、4−5種、7−8種、9−0種)も、奇数たいへきがその軸のプラス面、アップサイドに目がいくのに対し、偶数たいへきはその軸のマイナス面、ダウンサイドに目がいく。
そういう意味では着眼点は同じわけだ」
ちま「違うように見えても、判断基準の根っこは似ている、ということね」
主人「そう。ただ、意見が必ず合うわけじゃないので仲よくできるかは別問題だ」
ちま「??」
主人「重要性を共有できること、意見が合うこと、仲良くできること、これらは別要素だってことだね。
同じ『得したい』でも、お金が優先なのか、信用やリピーターが大事なのか、短期的な利益なのか中長期的な利益なのかでも考え方が食い違うだろう?」
ちま「確かにそうだ」
主人「理屈っぽい1種同士だって、意見が合致するとは限らない」
ちま「そりゃあそうだ」
主人「互いに理屈を出し合って口論する。
それを他の種は遠巻きに見て、『仲良いじゃん』と煽るwww」
ちま「www」
主人「本人たちが『仲良くない!』『こんなに意見が食い違っているのに!』と口をそろえる、と。ここまでが様式美だね」
ちま「だって、他の種は割って入れないし入りたくないもんw」
主人「まあ、同じ1種同士でも一枚岩ではないんだ。
棲み分けと共存というテーマは、現実的に突き詰めて考えるなら、この辺りに踏み込んで深掘りする必要がある。込み入った話になるのでそれは置いとくとして、いまは6種の話ね。
要は、6種だって5種と同じく『得は重要』なんだけど、5種とは観点が違う」
ちま「観点?」
主人「観点が違うというのは、さっき言った通り、5種は得することへのプラス面に目が向くので無邪気に得しようとする。
それに対し、6種は『得』のマイナス面に目が向くということだ」
ちま「なるほど。気にするところは一緒なんだけど、目のつけどころが違うんだ」
主人「そうだね……『得することへのマイナス面』というのはイメージしやすいところで言うと、『貧乏性』『守銭奴』『資本主義の権化』etc……」
ちま「うわぁぁぁ・・・(耳を押さえる)」
主人「これら5種性のダウンサイドというのは、5種を持っていない人からすると実にハッキリと見えるところではあるんだ。
ちまは5種も6種も持っているから、どちらかひとつだけの観点というと、ちょっとわかりにくいところだと思う」
ちま「そうかも。えーと、私のたいへきは……
顕在意識、潜在意識、無意識、の三層構造だっけ?」
主人「そう三層構造だね。それぞれ『よそ行きの私、家でリラックスしてる私、礼祭に向き合う私』って感じだ。いずれも原始の昔から連綿と受け継いでいる『狩りに遠征する状況、拠点を守る状況、生死に直面した状況』を反映している、と俺は考えている。社会性動物であるヒトの自我と仮面を三層構造で把握するんだ。これは大元の整体師由来の体癖論ではなく、俺が教えてもらった『体壁』から受け継いだ形式を土台にした個人的見解だ」
ちま「10通りの三層構造だから、組み合わせは1000通り?」
主人「いや、顕在意識のたいへきが10通り。潜在意識は顕在意識で選んだたいへきの別軸かつ裏だから、4通り。無意識のたいへきは顕在か潜在で選んだたいへきのいずれかの裏だから、2通り。合計80通りだね。いや本当よく考えられているよ。ダンバー数、つまり人間が安定的な社会関係を維持できる人数の認知的上限が150人程度とされていることを考えると、きわめて妥当な分類といえる」
ちま「ダンバー数は知ってる。漫画で見た。ウンチクは置いといていいからはやく教えてよ」
主人「君は俺の見立てだと5種−4種−6種だ。
簡単に言うと『合理的(5種)、共感をしたいし得たい(4種)、リソースをいざという時のために節約したい(6種)』たいへき。
5、6種の両方の観点を物心ついた時から当たり前に持っているだろう君にとっては、5種性と6種性、同軸二種類の区別はつきにくいと思う」
ちま「確かに、自分の考えを今は5種的だとか今のは6種的だとか切り分けて考えたことはなかったな。私にとってはどっちも当たり前って感じで」
主人「5種的な要素と6種的な要素は同軸で対になるし、『5、6の利害得失の軸そのものをメイン観点として持ち合わせない人が多くいる』という事実を知るのは大事だよ。他者の視点を再現する力は、予測や仮説の質を高めて探究と観察の精度を上げる」
ちま「軸とか対になるというのは、考える上でヒントになりそうだね」
主人「そう。わかりにくい偶数たいへきでも、軸や対概念という補助線でわかることができる。6種の人から見たら、5種のマイナス面がよく見えるし、そのマイナス面に臨場感があるわけだ。
いわば、5種性たる『得を追求する』の『ダウンサイド』に焦点合わせしたのが6種性なわけだ。その結果6種性がどうなるか?それは簡潔にいうと『留保したがる』ということになるんだ」
ちま「留保??」
主人「非日常やハレの日、つまり厄災や祭りを想定して、普段はリソースを蓄えるという考えだね。
もちろん、6種の人もずっと蓄えたいわけじゃないわけ。あくまでも『いざという時のため』に蓄えている。
まあ、『いざ』に具体的な想定がなかったり、あまりに突飛だったりする場合も少なくないから、現実逃避に見られることも少なくないけどね」
ちま「ほぉ〜〜」
主人「根底にあるのが『既存の価値や富に対する懐疑』と言ったらわかりやすいかな?
今の価値や富は『お金には価値があります』みたいな前提があってこそ認められる。価値の前提が共有されるから、得が多い少ないという比較の考えになるよね?
その前提が崩れてしまえば価値そのものが無に帰すわけで、得が多いも少ないもなくなる」
ちま「確かに。価値の前提あってこその得だよね」
主人「お金の価値の前提が崩れるかもしれないのに、お金の獲得に一生懸命になって、プライベートな時間や体力、リソースを削るのは『もったいない!』そんなイメージだ」
ちま「あー、わかるわかる」
主人「お金あげるよって言われたり、割のいい仕事を紹介されたら、5種の人は喜んで乗るだろうけど、6種の人は『もらえても虚しい。それより休みが欲しい。激務で好きな趣味ができなくなるなら意味がない』と考えるかもしれない」
ちま「なんか、もらえるのにもらわないなんて、8種の内向きねじれタイプの人みたいね」
主人「全然違うよ。
8種の人ならそれこそねじれて『いらない』とか『いらないけどもらってあげてもいいよ』とか言うと思う。6種性はあくまでも、累積的なダウンサイドを考慮して逡巡し、判断留保したがるという性質なんだ」
ちま「うーん、そうなんだ」
主人「やっぱり偶数たいへきは区別がつきにくいんだよね。
6種と8種も偶数たいへきだからね。
あとやはり6種と4種と2種も区別がつきにくいね」
ちま「うん?」
主人「表面的に見ると、どうしてもね。
6種はお祭りなどのハレの日になるとよく動くが、
4種もみんなの輪を大切にするので、お祭りの時などは積極的にサポートしたり参加したりする。
そういう意味では両者の区別がつきにくいんだ。
ただ、4種の人は6種の人ほど、ハレの日の爆発力はないことが多いし、6種の人は、あまり人に合わせるつもりはない。総じて6種の人は4種ほど繊細じゃないね。6種性はその本質としてマイペースなんだ。人目を気にせずのんびりできるのは6種の特性であり強みだと思う」
ちま「そうか、人目を気にするかどうかが6種と4種の大きな違いだね。4種なら、共感を大事にするから、人目は気になるだろうしね。マナー重視といったところかな。じゃあ2種は?」
主人「2種性は規律ベースだね。不文律でも、そういうルールがあると認識すれば、それを尊重する。不文律のルールとマナーは区別が難しいし、被る部分もかなりある。日本社会の冠婚葬祭なんかには、ルールともマナーともつかない決めが色々ある。地方や家庭単位での『決め』だと、部外者にはほんとにわからないレベルだね」
主人「あと、ちまと俺で共通するたいへきも6種だね。
おれは<1−6−2>。君は<5−4−6>だったよね」
ちま「そうだね」
主人「最近気づいた考え方だけど、共通するたいへきの要素を持っていると、意見がくい違った時のうまい落とし所になる気がする。
落とし所があるので、ぎくしゃくしても一時的で仕切り直しが済んで、長期的な関係がうまく行くのではないかと思うんだ」
ちま「そうだね。私たちだと6種がかぶっているね」
主人「例えば、俺が1種的に主張して、君が5種的に主張したとする」
ちま「まあ、控えめに言って意見が食い違うよね」
主人「そんな時に、6種的な観点で落とし所をつけたりする。
まあ、6種的な観点って言ったら要は『保留』だけどさ」
ちま「保留www」
主人「感情的になっていた部分が落ち着いたりすると解決する場合もあるわけで」
ちま「確かにケンカみたいなのも随所にあったけど、なんだかんだつきあい長いよね。
6種的なところでうまく折り合いがついていたのね」
主人「そういうこと。お互い留保してるうちに消化が進んだってことだろう」
ちま「表のたいへきだけでなく、裏のたいへきもわかると、パートナーや身近な人と反りが合わなかった時にどんな落とし所を見つければうまく行くかわかるね。無益な衝突や決裂が減るわけか。お得だね」
主人「5種らしいコメントだね。まあ6種は保留だからあまり衝突はなさそうだけど、他は火に油になる局面があるかも知れない。でも観点が同じという要素を先に把握することで状況を制御する道筋を得られる可能性が出てくることは確かだといえる。退くべきところ、攻めるべきところを見極めやすくなるだろう」
ちま「同じ能力だったら、全体が見えてる方がだんぜん有利ね」
主人「話を戻す。6種は、留保するということの意味、その一見分かりにくい価値を本能的に知っている。そして非日常に強い。これまで留保してきたものを躊躇なく全放出する勢い、爆発力は随一だ。
ただ、6種の想定する非日常には各人の個性が現れる。大規模でちょっとあり得ないレベルの非日常に焦点合わせている人は、生涯その非日常に遭遇しないということも普通に考えられる。
ちま「三年寝太郎なんて、寝てる間に人生が終わっても不思議はなかったよね。一生寝太郎だったかもw」
主人「そうだね。でも6種性においては、そんなケースでも、後悔はあまりない。これが留保できるという強みだ。これはリソースが節約され蓄えられるという機能的な価値とはまた別の、メンタル上の大きな強みだね」
ちま「チャンスを逃す以外、とくに注意点とかリスクはないの?」
主人「さまざまな変化や理不尽に対して、留保できる強さ。それが転じて、病態などはかなり悪化しても、留保してしまう。そういう弱点もある」
ちま「それだめなやつ。薬剤師として断固阻止したい」
主人「これは病態だけでなく、客観的な手遅れとしてあらわれるまで『留保』してしまうというリスクだ。手詰まりになるリスクだね。手詰まりからの爆発なんて目も当てられない。
これは素直に他者の助言に耳を貸したり、予防やらのシステムを活用してほしいね。6種の人はわざわざ自分を追い込まない方が無難だと思う。そんなことしなくても、普通の生活しながら長期的視点で『祭り』を楽しみにする気分で生きていく方が絶対良いし」
ちま「それはそうよね」
主人「それと、群体、共同体として見ると、6種的な存在を多数抱えるリスクというのはあるだろう。留保する人ばかりでは世の中は回らないからね。
でも今の資本主義経済において、留保一辺倒という人はさほど多くない。せいぜい不景気なので貯蓄したり保険加入したりが目立つくらいだ。そうした金融商品やニーズに応えるサービスはたくさんある。
まとめると、多少面倒でも留保の運用、超長期での戦略に特化した生き方の軸を持ち、稼業は持ち、隠れて取り組む、というのが今の社会環境ではお勧めだ」
ちま「6種でも保留ばっかりじゃなくて、動かないといけない局面があるんだな」
主人「というよりは、割り切って動くことで留保できる期間や選択肢を飛躍的に確保できるというメリットに目を向けるだけのサービスがたくさんあることは知っとくと良いね、という話だ。
学歴や資格なんかは今ではそれほど魅力的でないかもしれないけど、頑張ると留保の幅が広がる節目のようなものはおさえられると後が楽だ。留保というコンセプトと学びや鍛錬は相性がいい。好きで続けられるものに気まぐれで取り組むのが良いな。義務感とかなしで。
ひとつの祭と思って、そうした節目イベントに取り組めるように意識改革したり、自分で企画するのが億劫でも、誘ってくれる仲間を大事にしたりする程度でも、大きく人生が変わることがある。
要は閉じこもり過ぎないように心がけることだね。生来の祭り好きを思い出して、好きなもの、気の進むものに関してだけでも窓を開いておく。そういう留保のやり方もある。ということだね」
ちま「私たちが夫婦の子育てをこうしてまとめて発信しようとしているのも、ひとつの企画で、お祭り気分でやってるものね」