たいへき 第9話 9種 こだわりを持つ美学の人

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第9話 9種 <どれも響かない達観タイプ>

ちま「最後の軸です。9種はどれも響かないタイプってことですが……
今までで一番よく分からないや」

主人「今まで4軸8種とやってきたね。簡単に説明すると……
1軸:善悪、2軸:好き嫌い、3軸:コスパ、4軸:ねじれ、
というものだったね。

5軸目の9、0種は5軸目にあたるわけだが、今までの4軸がどれも響かないタイプだ。これは他のたいへき論ではそのように位置づけられていなくて、俺の個人的解釈になる。というより、たいへきの理論が乱立していて、説明原理のいずれも俺にはしっくりこなかったから、自分で考えたんだ。

正しいから…… 
好きだから…… 
得するから…… 
勝てるから……
だからそれを選ぶ、というわけではないということだ。 で、『なんでそれを選んだの?』と聞くと、『一言じゃ言えない』となる。

ちま「まあ、簡単に説明できないこともあるよね」

主人「うん。『一言じゃ言えない』ってのは条件つき、代用的な判断を一段越えた尺度だとみなせる。俺は9種性:個体への執着(偏愛)、0種性:種の保存(博愛)と考えている。すでに9、0種は前述の4軸を超越してるといえるが、9種の個体への執着すら取っ払うと全体性への執着が残るというわけだ。

たとえば生活に余裕もないのに後先考えずに野良猫を拾ってきてしまう、なんてのも全体性への執着から出てきた判断だろうね。だって家族の方が野良猫よりも大事だったらそんな決断できないだろう? それが0種を表す博愛と俺は見てる」

ちま「それもそうだ。博愛ってハタ迷惑なものなんだね」

主人「逆に同じように野良猫を拾ってきたとしても、その判断の裏になんらかの明確な…… 正しさや好き嫌い、損得勘定や優位性の判断が働いていたら、それは9種性や0種性の要素とはかけ離れているともいえるね。もちろん、9種性、0種性の人が他の4軸の感覚をまったく持ってないなんて意味ではないし、直接理由を聞けば『正しいから』『好きだから』『得でしょ』『有利になる』とか答えることはあるはずだ。何しろ一言じゃ言えないことを聞かれるわけだからね。それらいずれにも属さなくて説得力ある理由はなかなかあるものじゃない」

ちま「たしかに。聞かれれば何かしら答えるのが普通だよね」

主人「善悪の1、2種、好き嫌いの3、4種、損得の5、6種、勝ち負けの7、8種、一言にできない愛憎の9、0種。これでたいへきの5軸がそろったわけだが、もれぬけがあまりなさそうだろ?」

ちま「うーむ。『正しい』『好き』『得』『勝ち』『その他』かあ。完全にその5軸どれでもない理由づけなんてあるのかな? って思うよ」

主人「ま、勝ち負けの『ねじれ』と一言にできない『愛憎』を組み込んだタイプ論はあまり見ないし、後づけでなく生命原理との整合で説明づけられるしな」

ちま「そうだね。ところで9種の偏愛ってなに??」

主人「偏った好きと書く。こだわりがある愛着のことだ。これは3種の瞬間的で情動的な『好き』とは区別すべき概念だと俺は考える」

ちま「なるほど。マニアでフリークな『好き』はたしかにころころ変わったりしないもんね」

主人「そう。9種性は気分屋ではなく、むしろこだわり屋だね。そして他の種みたいにわかりやすいこだわりでなく、こだわりに対することのこだわり、という印象だ」

9種

主人「9種は0種と違って、4軸のうちのいずれも『同じ程度に響く』ともいえる。4軸いずれかのポリシーに染まっていないし、価値観としてそうした『わかりやすい既存価値に乗る』感覚がないということだね。それを安易だと嫌う9種の人は少なくないけど、どちらかというと本能的部分で臨場感がないからそう思えるのだと俺は考えるよ」

ちま「じゃあ、9種性の人の価値観ってどうなってるんだろ。こだわりなのに価値観が無なの? いや、同じ程度に響くならランダムなのかな」

主人「ランダムってのは半分正解。でも完全ランダムはありえない。それはあくまでも人工的な概念であって、現実には存在しないからね。数学でいう理論上太さのない『直線』とかの概念みたいなものだ。ランダムは便利な概念だけど、実際は生まれつきの遺伝や環境のバラツキは完全回避できるものじゃない。

だから9種性や0種性の価値観を考える場合『その人の情報粒度の偏りが尺度になる』と考える。その人にとっては解像度が高い部分がはっきり見え、解像度が低い部分はぼやけて見えるということだね。実はこれは9種性や0種性に限らない『時と場合の人それぞれ』にフォーカスした観察だ。

ちま「待って。それなら最初から全部それでやれば良いのでは?」

主人「それは真理だね。関係性なんて最終的には方法論によらず落ち着くところに落ち着くべきものだと俺は思ってる。だけどそれは難しい。やはり一定の枠組みがないとね。だから俺は各種たいへき種別を識別する上で効率的な順序に沿って説明したんだ」

ちま「ああ。順不同ではなかったわけね」

主人「基本的には見分けやすい、見極めるべきたいへき種別から順に説明していった。まずは内向きねじれ8種性とその対になる7種性。そして情動的で気分屋な3種性とその対になる4種性。人間関係で齟齬や問題を生じやすいこれらをまずおさえて、現代社会の通念基盤になっている5種性とその裏になる6種性を扱う。1種性と2種性はだいぶ込み入っているから後回しにして、そうした要素も超越した9種性と0種性で締める流れにした、というわけだ」

ちま「そういわれると、すごく自然で合理的な流れに見えてくるね」

主人「話を戻そうか。0種は特定の尺度に偏らない。粒度がバカになっている感じ。博愛が素晴らしいとか、博愛が正義とか、博愛が市場が良いとか、博愛の元で勝ち上がることに価値があるとかそういう自分の方向性みたいなものは一切ない。

それと対比すると、9種は自分の持つ粒度の偏りに特化して反映するという価値観だね」

ちま「どんな人か想像つかないね」

主人「まあ、いろんな人がいるけど。『こだわりの人』と思えばいい。特異なこだわりに執着するし、他者の執着に敏感でもある。立場や好みを越えて、執着の形態そのものに敬意を持つ。これは価値観そのものの良し悪し、好き嫌い、損得、勝ち負けといった一貫性ある尺度で比較するのではなく、あくまでも個別における『情報粒度の機微』という尺度で見ていると考えれば納得がいく。単に粒度が細かければ良いというのでもなくて、むしろ大雑把さを評価する9種性もあり得る。

それにあくまでも注目するのが粒度であれば、異なるたいへき種別を横断的に並べることも可能だ。あくまでもその人の内的基準ではあるけどね。その人の内的基準の尺度をどの程度に理解しているかで、ずいぶんキャラクターが違って見えると思う。

あと9、0種は自分の価値観の本質が理解されないことに慣れているから、まわりが肯定しなくても、その人なりに生きていくよ。人間ってそういうものだよね、って。いざ、着眼点が同じとなったら喜ぶか同族嫌悪か、まあ身内認識するか敵認定するか両極端になりやすいタイプではある」

ちま「9種優位の人は、他の人が自分で気づかないところまで見えてそうだよね」

主人「9種性優位の人はそれぞれ独自の美学を持っているといえるな。が、9種性をそのまま表す言葉が日本語にないのが残念。カリスマ性…… と言えなくもないが、ちょっと手垢がつきすぎててなあ」

ちま「わかる。今だとカリスマにあまり良いイメージないね。なんか軽くて」

主人「そうだね。『カリスマ美容師』とか、キャッチコピー化してしまって以降、微妙な表現になってしまったね。それ以前の重厚なカリスマの例で考えれば良いか。

そういえば映画界の巨匠、黒澤明監督が、インタビューで『この映画は何がテーマですか?』と聞かれたときに、『何がテーマだなんて、簡単に言えるならこんな苦労をして、映画なんて創らないよ』と答えたんだそうな。これっていかにも9種っぽいと俺は思うんだよね」

ちま「確かに、一言で言えるなら2時間もいらないね」

主人「しかも、続きがあるんだ。『一言で言えるなら、プラカード持って町を練り歩くさ』だってさ」

ちま「たしかにwww」

主人「多分、9種の人はデモとか好きじゃない。キャッチコピーのセンスを見る目も厳しいと思う」

ちま「あれは? 毛皮反対で裸でデモするやつとか」

主人「それは各人の9種性の価値観で美学を見出せるかどうかで判断が分かれるところだろうね。日本で行われるデモのように、帽子かぶって、マスクして、誰だかわからない人々が人数だけ集めてプラカード持って練り歩くのには渋い顔しそう。いかにも保身の臭いがするよね。それに対して裸は少なくともハードルは高いな。リスクを取ってる」

ちま「たしかに!身の捧げ具合が全然違うし、そこに美学を見出す人はいるかもしれないね」

主人「まあ、ひとくくりにはできないな。そういう9種もいるだろうし、見出さない9種もいるだろう。

俺としては、9種性の強い人こそ、これまでの軸と方向性について踏まえることで、より9種らしく各人の情報粒度を伸ばし、活かせるようになると考えてる」

ちま「でも、そういう言葉によるカテゴライズに響かない、むしろ嫌悪感を持つ9種の人もいると思う」

主人「俺も思う。でもそれは全然悪くないんだ。俺にとって、そういう9種の人は相容れない、どうでもいい存在、というわけではない。たいへきのようなタイプ論を嫌う人や異論がある人なども同じだ」

ちま「それもきみの1種性なのかね。他者の懐疑主義も許容するというw」

主人「まあそれもあるけど。それ以上に、たいへきやタイプ論を嫌ったり異論がある人『以外』に、たいへきのコンセプトや概念が共有されていくと、棲み分けが進んでいくはずだと俺は考えてる。それが見えてくれば納得しやすくなると思う」

ちま「外堀を埋めていくってことかw」

主人「そこまではw ただ考えの共有や棲み分けが進めば、その恩恵は9種の人にも及ぶんだ。他の人が棲み分けることで、結果的に9種の人もおさまるべきところにおさまりやすくなるだろうからね。

そして、たいへきという『価値観カテゴリ』の解像度、情報粒度について、感覚的レベルで異を唱えられるという個性は、たいへきの共有概念化が進むにつれて、その希少性と価値が高まる可能性が高いとも考えてる。それは俺らの望むところである精神的自立の根幹だと思うからね」

ちま「価値観の個性そのものにこだわりがあるなら、精神的に自立してるのは間違いないというわけか」

主人「そうだね。迎合をあまりしない、孤高な印象だ。だからといって孤立を望むというわけじゃない。距離感の取り方は独特で、身内と部外者をはっきり分ける感じだ。それだけでなく独自のこだわり、美学的価値観から、外部の敵対者に対して敬意を払ったり、身内を蔑んだりもする」

ちま「敵対者に敬意はともかく、身内を蔑むというのは?」

主人「いわゆる敵味方の概念に疎いというか、自分の感覚とこだわりが一番という感じだからね。意外と一度身内認定したら情に篤くて世話好きな面もある。そしてあまり迎合はしない。というより関心のある対象と無関心な対象が明確なんだよ。そして関心の焦点はバラバラなんだ。人にあるのか、物事にあるのか、見た目にあるのか、全体にあるのか、部分にあるのか。その人の中での一貫性はあるけど、9種性としての一貫性はなきに等しい。まあ、だからこそ『独特の美学』と呼ぶしかない感じなんだけどな」

ちま「かなり浮世離れした感じなんだね」

主人「別に社会性がないわけじゃない。必ずしも奇抜な主張を持っているわけでもないしな。ただ自分自身の目利きに素直なだけだ。奇数たいへき共通の要素だけど、基本的に興味は外向きでもある。

そして9種性優位の人の自己分析は、他者を通じて行うことが多い。他者の観察だったり、表現やアートという『他者』を介して探究する。自己表現と自己分析が一体化しているタイプで、外部化された作品を通じて世界を認識する傾向がある。

もちろん、すべての9種がアートに秀でているわけではない。ただ、基本的な適正は高い。呼吸をするように表現に勤しむという印象だね。こだわりの対象にはいくらでも繰り返し取り組めるし、何より集中力の持続が長く、深いんだ」

ちま「目利きと表現にこだわりがあるなら、ぜひ創作に打ちこむといいよね」

主人「まあそうだね。ただいわゆる芸術である必要はない。ただそこにいて、独自の観点を語るというのも立派な表現だし、それで他者や社会に影響できる道もたくさんある。とはいえやはり創作の適性は高い傾向にあると俺も思うよ。一言で言えない、言葉にできない。そんな想いに対して非言語的なアプローチに卓越すれば、アーティスティックになるのは必然的ともいえる。

そもそもアートや表現は技術的になんでもアリという側面がある。それは独自性であるだけでなく、本人が必要性を認める限りにおいて、かなり柔軟性を発揮するともいえるんだ。内的なこだわりと気づきが、外から見れば独創的で柔軟に見える場合もある。独自の世界の切り取り方ができるのはわかりやすい強みだね」

ちま「じゃあ9種性の弱点は?」

主人「独自の価値観ゆえに一般向けの一貫した説明が難しいところだね。説明そのものが野暮で必要ないと思ってる節がある。9種性はその性質上、美点を見出せないことを強いられるのに耐えられないところがあるから、むしろ人間関係を円滑にする言い訳としての説明とか対応は用意しておくのがオススメだ」

ちま「9種性優位の人は、言い訳とか準備して対応を決めるとか、いかにも嫌がりそうだね」

主人「それは俺も思う。だからこそ、自分のこだわりを偽らない範囲で、前もって準備しておくと恩恵が大きいといえる。できれば、たいへきの観点でひと通り考えてみたり、相手の発火ごとに届きやすいと思われるアプローチをシミュレートしてみたりすると、都度の齟齬やごまかしを避けられる可能性が高まるだろうね。

まあ説明しすぎる必要はなくて、挨拶程度に、相手の思考を発火させるような働きかけとか、キーワードとかを用意して、あとは観察眼と直観に任せる感じでも全然良いと思う。面倒が減って、打てば響く関係性や、よき理解者が見出せることが少しでも増えれば、こんな幸いなことはないだろう」

ちま「たしかに、9種性のこだわりを発揮する方向での、相手や場合を特定しない準備なら、こだわりをより大事にすることにつながるのか」

主人「そうだね。陰陽五行説における相乗相剋、つまり互いを強める関係と弱める関係なんかも有用かもしれない。それはまた応用編ということで、まずはそれぞれのたいへき種別と発火パターンの見極めにつとめておいてくれ」

ちま「それも気になるなあ。とはいえひと通り聞いてからの方が良いか」

主人「じゃあ見極めの注意点をざっくりと。ねじれタイプは、どういうものか知ってさえおけば基本的に見分けられる。というより、露骨な発火は『知っておいて、心構えして対応する』だけでもかなり有用だ。ただ露骨でない発火や火種の状態を洞察するのにはそれなりに慣れが必要になる。これはねじれタイプでも、それ以外のタイプでも同じなんだ。タイプの絞り込みは『時と場合の人それぞれ』だけど、基本形としては扱った順番、ねじれ→好き嫌い→損得→善悪→愛憎、の順序で見るのが良いだろう。

あと、何度か話に出ているけど、即断はしないほうがいい。とくに偶数種は見分けづらいから注意が必要だ。基本的にたいへきに限らず人物分析手法は『まず地雷を踏まない』ことを優先するものだと認識してほしい。応用として相手に積極的に踏み込むことで結果的に地雷を回避するというやり方もあるけどね。

そして自分を偽るのは下策だということは認識しておく方が良い。とくに4種性優位の人はそうならないように自己開示の指針を準備しておくことを勧める。そして普段4種性優位というわけでなくても、4種性が発火させられるパターンについて自覚を持つことも大事だ。大きく、自分の主導権を失って話せない状況に追い込まれる場合と、主導権を誘導されて聞き手にされる場合とある」

ちま「追い込まれて話せないのはわかるけど、誘導されて聞き手にされるってのは?」

主人「こちらの根源的欲求を刺激されるってことだね。たとえば5種性優位の人に儲け話を振るとかね」

ちま「なるほどそういうことね」

主人「あと、奇数種と偶数種の傾向を構造的に理解すると、絞り込みが楽になる。

基本的に奇数種が攻め、偶数種が受けという印象で間違いない。ただ攻めだけ、受けだけというコミュニケーションは存在しないから、対象が何にフォーカスしているか、そこでの発火はどうなっているかという流れを読む。相手の本音、一貫する根源的欲求の流れを読解するという意識で相対し続けることで、洞察能力が向上してくるだろう。

少なくとも、相手が攻め、つまり自己開示したい発火優位なのか、受け優先の発火傾向なのかの区別は、個別のたいへき種別を見定めるよりハードルは低いから、そこからはじめるのも悪くない。

また、偶数種は累積効果、つまり時間をかけた連続的な変化を、そして奇数種は変化率、つまり瞬間の離散的な跳躍を志向している。つまり偶数種は地道で奇数種は早道を行きたがる傾向にある。

まずはその辺にフォーカスして洞察をはじめて仮説を立てる。そして行き詰まりを見たら、逆や裏を取って予測してみる。仮説のたいへき種の通りならどういう発火をするか、また仮説のたいへき種でなければどのたいへき種だろうか、この発火が仮説のたいへき種と食い違っているならどう解釈すべきか、といった具合だ。

あと可能なら、ひとりでなく信頼できる人と意見交換できると、感覚を養うのが飛躍的に早くなる。会社の人の人物像や出来事を家でたいへきベースでの洞察を交えて話すなどはオススメだ。できれば共有概念化できれば理想的だけど、それはまだ難しいだろう。中途半端にたいへき活用を開示するよりも、ゆっくり人物観を高める中でたいへきも習熟していくことを優先して実践してほしい」

ちま「会社の出来事を話すのに、たいへきがすごい便利だったよね。たとえば『こないだの4種の人』みたいな言い方の方が話が早いw」

主人「そうだね。名前を覚えるほどでもない間柄とかだと、圧倒的に楽だね。そしてちまがその人のその発火をどう捉えているかが入ってくるから、話のテンポも情報量も良くなるわけだ」

ちま「ほんとにね。会話の密度が高まった感じがすごくする。子どもの行動や態度なんかもきちんと伝わる感が便利だね」

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